2006-05-25 習慣性
_ 習慣性
_ マイケル・ジョーダンが引退する時に、カツラ業界から「待った!」が掛かったというのは前回同様つまらぬ冗談でして。
現在の自分に悩む前に、現在の自分が一つの習慣性によって生かされている存在に過ぎないという事実を認識した方が良い。例えば、我々の思考は言葉によって支配される。そこにはある言葉を使って生活する習慣がある。だいいち、一人称ですら、「僕」、「私」、「オレ」、「わて」、「わい」、「ワシ」、「ウチ」、「朕」、「ワレワレ」、「ボクちゃん」その他無数の使用語があり、その使用によってその人の思惟形態は方向付けられる。やくざの親分がボクちゃんを使えばマンガであるが、小泉首相が使っても問題なさそうなところが可笑しい。同一の一人称を使ったからといって同一の思考が生まれるわけではない。さらにその内側にはその人の思考習慣がある。例えば、同一の言葉による祈りの習慣などは必ずその人の思考形態に大きな影響を与えるだろう。またここには言語による習慣方向性もある。中国人と日本人で考えが違うのは言語が違うことによる面が大きいだろう。同様に英語を母国語にする人たちと、アラビア語を母国語にする人たちでは思考の習慣性が違うだろう。つまり日本人は、その使用する日本語によってその思考習慣を支配される。さらに言えば、現代の日本人は現在使われている標準語によって思考習慣が支配されている。また、TVはインパクトの強いものであるから、モニター上のワイドショーにアタマを支配されるものは、必ずTVの言語パターン思考習慣の支配を受ける。
自分の今の悩みは、自分の現在の思考法によってもたらされているものであり、ある種の習慣性の発露である。こう思うと悩むこと自体が馬鹿らしい。しかしこれに気がつくことは、若い間は並大抵のことではないだろう。そしてそれに気づくことなく歳取ることが、あはれなのだ。