ブイネット教育相談事務所


2005-06-08 旅立ち

_ 中3の教え子の父親が他界した。10年近い闘病の末である。息子さんが修学旅行に出発した朝に亡くなった。

実は、筆者は、地元の公立小に通う子供がいるので、自分の仕事を地元には隠している。

著書でも、公立教育の欠陥をズバリと指摘して来た。公務員としてより熱心に働く気がない人たちを強く批判して来た。だから、学校の先生に知られると実に不味い。今春中学を卒業して高校に進学した長女からは、

「今のところバレてないけど、できたら本名でやらないで欲しかったよねー」

と、言われてきた。

従って、全国各地からのクライアントの教育相談には応じているのに、地元の相談には応じていない。授業参観にも来ないで欲しいと言われている。そしてもとより、V-netでは、広告も看板も出してはいない。何とか地元には知られずに済ませて来た。生徒もいなかった。

しかし、この中3の教え子だけは例外である。

なぜかと言うと、息子が小二の時、六年生だった一人っ子で兄弟のいないこの子が、小学校校庭でやっていた野球に入れてくれ、しかも息子の打順が来た時には、仲間を制して、定位置より前から、下手投げで投げて打たせるのを偶然観察したからである。私は言わなかったが、心の中で恩に感じた。なぜかと言うと、私は、少子化社会の中で、「縦割り」の集団構成の再構築こそ、最重要と捉えているからである。

聞いてみると、この生徒の父親は、生徒が小学校に入学する直前に、心臓を悪くし、以後半身不髄の車椅子生活を余儀なくされたとのことである。こういう状況下で生きる子供が、幼い子に優しくすることは、かけがえのない美徳ではなかろうか。

V-netでは、「自分より弱者に対して優しくすることは、人間として生きて行くことの基本だ」と常々指導している。中山文科相の「競争原理」の逆である。

また、男の子は、14才いっぱいまで、大いに外で遊び、友達と群れる実際的体験をすることが勉強するより優先されるべきであるというのが、私の終生変わらぬ主張である。 中一より野球に打ち込んだこの子は、同時にV-netに通い、中三になって、作文力を身につけ、漢字も計算も英語も飛躍的にできるようになりつつある。私は、こういった子を社会に役立つ人間として育むことにこそ、生き甲斐を感じて教育の仕事をして来たのである。

今、ようやく勉強も追い着き、そもそもの才能が開花し、頭角を現わし始めたまさにその最中に、あたかもそれを見届けたかの様に、父親が他界する。泣けて泣けて仕方がない。

学校の先生たちは、多少の素行のアンバランスさと勉強ができないというだけでこの子を蔑んで来た。何という価値観の狭量さであろう。

息子さんが、修学旅行に出発するまで耐え忍び、その旅立ちに合わせて永遠の旅に発たれたお父さん、貴兄のお子さんは私が引き受けました。かならず立派な男に育て上げ、貴兄の遺伝子を引き継いだ多くの子供を持つ父親になるようにすることをお約束申し上げます。

どうか安らかなる御冥福を。誠に僭越ながら、私がこの子の未来を見届けることをお許し下さい。