ブイネット教育相談事務所


2005-06-24 悪妻と仕事

_ 引き続き、筑摩の漱石全集の別巻を読む。

「漱石全集」別巻最後に、編者の吉田精一氏の「鴎外と漱石」というのがある。両者がその妻の扱いに苦しんだことが記された後に、「たまたま優れた業績を残す場合は、悪妻を抱えるという不幸を甘受しなければならない。やんぬるかな。」とあるのを読んで、深夜ながら爆笑してしまった。吉田の妻は器量が今イチの良妻であるらしい。

鴎外は、初妻を器量が良くないから離縁したそうだ。2度目の妻は美人で、鴎外は「少々美術品らしくらしき妻を相迎え、大いに心配候処」と友人に手紙を書き送っている。

「悪妻」とは、夫の意のままにならぬ妻のことをいうのであろう。作家としては意のままになる女などというのはおもろうない。ソクラテスも同じ。意のままにならぬ妻と同居すれば、険悪な雰囲気を避けて、書斎に籠るか外出する。結果的に、取材と執筆の両者が可能になる。

作家には、女の無自覚さが許せない。だから、内省的な文学青年との交流を優先する。これは半ばホモセクシャルな感情である。優れて知的且つ自己本意であらざるをえない作家は、女性に対して、艶かしさと美しさしか求めえない。当然、作家の女房たる気位の高い女性は憤る。

気位高く美しい女性の典型は、裕福な家に育った長女である。鴎外と漱石の細君はこれに当る。作家は苦しい。価値基準がはっきりしているので、しっかりとした自我を持ち、同時に美しい女性を好む。しかしそんな女はえばっているに決まっているから、悪妻となり、持て余す。仕方がないので書斎に籠る。

私は以上を大変可笑しく思う。なぜかは読者のご想像に任す。