ブイネット教育相談事務所


2006-04-05 早大法より慶大法?

_ 前日に早大政経を持ち上げたら、クライアントの弁護士さんで司法研修生指導の経験がある方から、「私見だが、司法試験合格者においては慶大出身の学生の方が優秀と思うがいかがか」と、ご意見をいただいた。

私は,それはそうだろうとは思うが、是非とも文章力を開花させて早稲田出身者の合理性を伸ばして欲しいと願う。彼らは抽象構成作文法を知らないだけなのである。

慶応と早稲田では、「合格最低点法」のプログラミングが違う。慶応は、短期準備が効きにくい。これは高校受験についても同じである。

慶応文系入試には国語の試験が一切ない。その代わりあるのが、小論と数学である。私は知っている。ことアタマを良くするのが目的であれば、文章力と数学力を鍛えるのが最も合理的道筋である。両者とも東大と慶応で必要で、早稲田では必要ない。早稲田に必要なのは

合理的な選択肢取りとクソ暗記である(上智はさらに特殊な英語力と、クソクソ暗記が必要)。

しかし、私は思う。

慶応はひょっとしたら「標準語教育」を見透かしているのではないか。

現在我が国で行われている国語学習は、標準語の、特にその読み取りの強要である。標準語は、意味の特定に優れるが、ニュワンスの含有がほとんどない。従って,標準語国語教育の末路は、自ら発してその答えを得る思考力のないものを多出することである。つまり、より熱心に標準語の国語試験に勝とうとすればするほど、本質的な言語応用能力が奪われるのだ。このことは教える側も教えられる側も無意識に進行するので、その本質的な誤りを自覚することがきわめて難しい。結果が、つまらない大学教授の文章群と、発想力のない優秀な学生の累積である。もちろん高級官僚の多くもこれに入る。

これに唯一対抗する手段が、国語読解試験を止めて、文章力試験をすることである。慶応は、このことに早期に気づいていたほぼ唯一の学校だと言える。

そもそも福沢は、徹底的に官の外にいることに成功した人間である。その元が外国語力と文章力であったことは周知の事実である。

福沢は分かっていたのである。標準語教育の隠された意味が。ダイアローグが出来なくなるという結論を。

東大二次試験の国語は完全記述であるが、ここには標準語レトリック追求の危険性に無自覚である人たちの何かが匂う。自らの優秀さの「担保」である、東大型の記述レトリックが無意味に近づいていることに自覚的でない。旧制高校出身者がなくなれば、東大文系には本当に優秀な人間は集まりにくいはずである。その全ての原因は、標準語強要そのものであるセンター試験を勇気と英知を持って拒絶できないところにある。

私は、自分の古文音読法や文章構成法を、サピよりも、日能研よりも、早稲アカよりも、早稲田塾よりも、東進よりも、河合よりも、文科省よりも,七田式よりも、慶応に売りたいと思うが、(本当を言うと東京都立にこそ売りたいのであるが)、興味のある方はご一報願いたい。ライセンス契約したい。

ビビるなよ。音読達人は、全てお見通しだぜ。